「子供の科学」は、大正時代から発刊されている子供向け科学雑誌です。
「子供の科学」には、工作少年の製作意欲を刺激する魅力的な工作記事が掲載され、
折込み付録で紙飛行機の図面がついていました。
この紙飛行機図面は、 そのまま切って、組み立てると、 飛ばせる紙飛行機になりました。
紙飛行機には、いろいろな種類があります。
一枚の紙を折って作る、折り紙飛行機、
翼と胴体の簡単なパーツを作り、接着剤で、組み立てる紙飛行機、
もっと、より精巧なパーツをつくり、 本物の飛行機そっくりに仕上げる紙飛行機などです。
折り紙飛行機は、とても手軽で、一枚の紙さえあれば 誰にでも簡単に作ることができ、
飛ばすことができます。
胴体と翼だけのパーツに分かれた紙飛行機は、ちょっと難しいです。
紙をきれいに切らねば、なりませんし、接着剤もむらなく塗らねば、
飛ぶ紙飛行機には、なりません。
「子供の科学」の折込み付録は、このタイプです。
本物の飛行機そっくりの紙飛行機は、さらに難しく、 形を模倣することと、
飛ばせることの両立は、至難の業です。
しかし、この至難の業を、いとも易々と、やってのける少年が、 倉敷に住んでいました。
その少年は、パフィン号を作った石井さんの同級生の前原君です。
前原君は、小学一年生の時、「子供の科学」の折込み付録の紙飛行機の組み立てに 失敗し、
飛ばすことができず、とても悔しい思いをしました。
以来、前原君は、その悔しい思いをバネに、紙飛行機製作に、情熱を注ぎ続けました。
前原君の小学一年生から始まった、紙飛行機製作チャレンジは、中学生になる頃には、
素晴らしい成果をあげていました。
昭和40年代、戦闘機の空中戦の様子が、 毎週のように、テレビで、放映されていました。
戦闘機の空中戦は、ツバメが、エサの昆虫を 追いかける時に見せる、
曲芸のような飛び方に、 よく似ています。
急旋回や、急上昇、急降下、背面飛行と、自由自在に、
ツバメのような、高い運動性能を誇るのが、戦闘機です。
テレビの画面を通して見る、ツバメのような鮮やかな 飛び方をする戦闘機は、
工作少年をとても刺激しました。
第二次世界大戦時には、たくさんの戦闘機が、国力をあげて開発されました。
その中でも、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の堀越二郎設計の零戦、 堀越二郎の同期生、
土井武夫設計の飛燕(ひえん)、アメリカのP-38、P51-Dマスタング、
ドイツのメッサーシュミット、フォッケウルフなどの プラスチック模型が、
工作少年の人気戦闘機でした。
それらのプラスチック模型は高価で、手に入れても、 鑑賞用なので、
外で、飛ばすことはできません。
そこで、前原君は、プラスチック模型とまったく同じ寸法、丸い胴体、
流線形断面の翼を持った紙の模型飛行機を作ることにしました。
小学一年生から、紙飛行機づくりひとすじの前原君は、中学生になった時には、
もう市販の組立キット紙飛行機では、物足らなくなってしまったのです。
前原君が選んだサイズは、1/72サイズで、手のひらに乗るほどの、 小さなかわいい模型です。
前原君は、そのとても小さな模型の寸法を図り、図面をおこし、ケント紙にパーツを切り出し、
接着剤で組み立てました。
仕上げは、本物とまったく同じカラーリングに絵具で色付けし、
操縦席には、 お人形のパイロットを乗せ、パイロットのお顔には、表情までつけました。
そうして、出来上がった、前原君の模型紙飛行機は、
本物の戦闘機ように、急旋回や、宙返りをし、ツバメのような鮮やかな飛び方でした。
その様子を見て、とても驚いたのが、前原君と、同級生だった石井さんでした。
工作好き、飛行機好きの石井さんは、前原君の模型紙飛行機の、素晴らしさに とても感動しました。
石井さんは、自分でも、前原君と同じような、模型紙飛行機を作りたいと思いました。
毎日、毎日、石井さんは、前原君と同じやり方で、紙製模型飛行機作りに、 チャレンジしました。
出来上がったばかりの、自分の模型紙飛行機を手に、 石井さんは、前原君と飛ばしっこをしました。
石井さんが、どんなに頑張っても、前原君の模型飛行機には、かないませんでした。
けれど、そんなことは、石井さんにとって、問題ではありませんでした。
「どんな風に、作ったら、模型紙飛行機が、より良く、 自由自在に飛ぶようになるのだろう?」
石井さんの興味は、その一点に絞られ、高校受験をむかえるまで
模型紙飛行機工作チャレンジは、続いたのです。
~つづく~ 2017年3月1日
(中学生の石井さん製作「飛燕」)
(参考にした1/72プラモデル)
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