パフィン物語 No.5 模型飛行機教育

 「○○ちゃん!あっそびーましょー!(遊びましょう)」

 「はーい!」  

こんな、

可愛いらしい

子供たちの

やりとりが、

聞けなくなって、

久しいです。


 昭和の時代、

お天気の良い休日、

青空の下、

元気いっぱい遊ぶ

子供たちの笑い声が、

響いたものです。


 電気を媒体とする

ゲームが、

存在しなかった頃の

子供たちの遊びは、

実に素朴でした。


 川遊び、

木登り、

虫取り、などの

自然相手のもの、 


ゴム飛び、

竹馬、

こま回し、など、

道具を使うもの、 


陣取り、

草野球、

缶けり、などの

集団遊び、

と実に、

さまざまです。


 西の空に

茜雲が

細長く伸びて、


薄暗い夕闇が、

広がるまで、


子供たちの笑い声が、

こだましました。


 子供たちの学び舎、

小学校の近くには、

小さな、

文房具屋が

ありました。


 横開きの

ガラス戸を

くぐると、


狭い空間に、

 いろいろなものが、

並べられ、

ぶら下がっていました。


 ノート、

鉛筆、

消しゴムなどの

筆記用具、 


のり、

はさみ、

画用紙などの、

工作品、


 糸、

フェルト、

針など、

手芸用品。  


どの商品も、

5円、

10円くらいで、

当時の子供の

おこずかい範囲内で、

気兼ねなく、 

買うことが

できるもの

ばかりです。 


しかし、

ちょっと、

高価な、


けれど、

男の子たちに、

人気のおもちゃが

ありました。 


 ゴム動力の

模型飛行機セットです。


 模型飛行機セットは、

千歳飴くらいの

大きさの

紙袋に入って、

ぶら下げられ、

売られていました。  


紙袋の中身は、

竹ひご、

細い針金、

プロペラなどの、

 模型飛行機の

組立部品と、

 

組み立て説明書が

入っています。


 組み立て説明書を

参考に、

竹ひごを、

 ロウソクの火で

あぶって、曲げ、 

その上に

紙を貼って、

自分で、

作るのです。 


上手に、

丁寧に、

組み立て、

調整すれば、

模型飛行機は、

良く飛びます。 


おおざっぱに、

荒っぽい、

組み立て方をすれば、

まったく、

飛びません。


 文房具屋の店先に、

ぶら下がっていた時は、

同じ条件で、

バラバラ状態の

模型飛行機なのに、

 組み立てた人の手によって、

その飛び具合には、

雲泥の差が

出来るのです。


 竹ひごの、

曲げ具合、

糊のつけ方、

小さな模型飛行機の

組み立てには、

 飛行機作りの

小宇宙がありました。


 おともだちの誰よりも高く、

長く飛ばすために、

子供たちは、

自分の模型飛行機に

工夫をこらし、 

いつしかそれが、

本物の飛行機作りに

つながっていったのです。

 

この模型飛行機作り、

いったい、

いつ頃から、

子供たちの間に

広がったのでしょうか? 


そもそも、

模型飛行機は、

いつ、誰が

始めたのでしょうか?  


模型飛行機は、

まだ、飛行機が

実現していなかった頃から

ありました。


飛行機は、

鳥のように

空を飛んでみたい夢を

抱いた人たちの、

果てしない実験の

結晶です。  


空を飛ぶ夢を

抱いた人の

実験方法は、

大きく、ふたつに

わかれました。 


巨大な翼を

自分の体に

くっつけて、

高いところから

飛び降りて、 

グライダーのような

飛行実験をした人。  


手軽な大きさの

飛行機をつくり、

まず、 模型飛行機で、

飛行実験をした人。  


前者の代表、

グライダー型は、

 ドイツでは、リリエンタール、

 日本では、岡山の浮田幸吉が

あげられます。 


 後者の代表、

模型飛行機は、 

フランスのペノー、 

日本の二宮忠八です。


 両者とも、

自分の飛行理論が、

 正しいかどうか、

 何度も実験を重ね、

その実験結果は、 

次世代にたくされ、

やがて、 

ライト兄弟の

フライヤー号、 

有人エンジン付き飛行機、

 初飛行に

つながるのです。 


ライト兄弟の、 

フライヤー号の初飛行は、

 1913年です。


 フランスは、

ベルエポックと呼ばれた

新しい芸術が

花開いた時代です。  


世界中から、

時代の最先端の

考えをもった人たちが、

花の都パリに集まりました。


 もちろん、

ライト兄弟も、

自分の飛行機を

パリの人たちに、

披露しに行きました。


 空飛ぶ巨大な機械、

飛行機は、

人々の賞賛を浴び、

最初のうちは、

平和的に人々に

利用されました。 


 見世物としての

曲芸飛行や、

交通手段など。 


しかし、

飛行機に銃を付け、

戦争に利用することを

思いついた人がいました。 


 今まで、

戦争の舞台は、

陸か海です。


 しかし、

飛行機の登場で、

空が加わったのです。  


空から、

飛行機をつかって、

雨、霰(あられ)のように、

銃で、

攻撃されては、

大変です。  

世界中の国の軍が

飛行機つくりに、

本腰を入れ始めました。


 飛行機つくりは、

極めて、繊細な

工作力が必要です。


 第一次世界大戦で、

負けたドイツは、

良い飛行機を作る

若者を育てるため、

 学校教育の科目に、

模型飛行機作りを、

取り入れました。


 日本も、

ドイツに習って、

小学校から高校まで、

すべての学年に、

必須科目として、

 模型飛行機作りを、

取り入れたのです。


 昭和12年に始まった

本格的な

模型飛行機教育は、

手先の器用な日本人に、

ピッタリでした。

 日本中の少年たちの間に、

模型飛行機作りは、

浸透していきました。


 パフィン号を作った

石井さんのお父さんも、

少年時代に

模型飛行機教育を

受けました。


 石井さんのお父さんは、

高校生の時、

自分で作った

模型飛行機で、

大会に優勝しました。  


そのことを、

幼いころから

聞いていた

石井さんの

心の奥底に、

 飛行機つくりの芽が

出ていたのかもしれません。


 息子の最大のライバルは、

父親なのですから。


 2017年2月3日 ~つづく~ 


パフィン物語

超軽量飛行機ウルトラ・ライト「パフィン号」が、空を飛ぶまでの、実在のお話です。

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