パフィン物語 No.4 ~能登のおじさんの絵画教室~

西洋絵画の中で、

日本人が、

 最も好むのは、


 ゴッホのひまわりの絵、 


モネの睡蓮(スイレン)の絵など、


印象派の絵だと、

言われています。 


印象派の絵は、

写真のような、

本物らしさよりも、


 見た人が感じたイメージを、

大切にする絵です。


 日本画は、

昔から、

イメージを、

大切にしてきました。


 日本のふすまや、

掛け軸に、

 描かれている、

伝統的な日本画は、


淡い色彩の、

穏やかな、花鳥画です。


 伝統的な日本画は、 

レオナルド・ダ・ヴィンチの 

「最後の晩餐」に、

代表されるような、


 遠近法は、

使いません。


 平面的な構図ですが、

精緻で、生き生きとした、

筆使いは、


日本人が昔から、 

愛(め)でてきた、

鳥や虫、川や山、


などの自然を、

実に、鮮やかに、

 描き出すことが、

出来るのです。


 写真のように、

本物らしく見えるよりも、


見えた風景や、

人物のイメージの方を、

 大切にする描き方に、

慣れ親しんだ、

日本人の感覚が、


 印象派の絵を、

好むのでしょう。


 印象派の画家たちは、

風景を主役にした絵を、

 好んで、描きました。


  伝統的な西洋絵画では、

レオナルド・ダ・ヴィンチの 

「モナリザ」のように、


絵の主役は、

ひとりの人物です。  


風景は、

主役の人物の周りに、

うすぼんやりと、

背景として、

描かれているだけです。



 花や鳥、

山などの風景は、

伝統的な、

西洋絵画では、


メインディッシュには、 

なり得なかったのです。


 理由は、

レオナルド・ダ・ヴィンチの時代から、

近代まで、

画家を支えてきたのは、

 階級社会の頂点のたつ、

教会や、

王侯貴族たちでした。


 画家たちは、

その庇護のもと、

教会を讃える、

 聖母マリア、

王様の肖像画を、

描いてきたのです。  


しかし、市民革命で、

階級社会が崩壊し、

 市民に、

スポットが、

当たり始めました。


 印象派の画家たちは、

新しい時代の主役、


市民の日常生活を、

切り取ろうとしました。


モネやルノワールなど、

印象派の画家たちは、

イメージを大切にする、


 新しい描き方で、

キャンバスに、

おさめました。


 休日の昼下がり、

戸外のカフェ・テラスで、 

ダンスに興じる人々の絵や、


刈り入れ後の、

麦畑の絵などは、


 新しい時代を、

象徴する絵なのです。


 また、印象派の画家たちは、

 描く場所も、

アトリエでなく、 

戸外で描きました。


 絵の具セットを持って、

 帽子をかぶり、

お弁当をもって、


 戸外で、

気に入った風景の前で、

 描いたのです。


 石井さんのおじさん、

能登のおじさんも、 


印象派の描き方で、 

たくさんの絵を、

描きました。 

能登のおじさんは、

龍の橋を作った、

石井さんの、

お父さんの実兄です。


 愛妻、

文子さんと結婚して、

「能登」の姓を、

名乗りました。


 第二次世界大戦の時、

能登のおじさんは、

兵役につきました。  


終戦後、

小学校の先生をしながら、

大好きだった絵を、

描き続けました。


 日本には、

新人画家の、

登竜門で、

最も大きい絵画展、

「日展」があります。


 美大で、

専門教育を、

受けた人でも、


日展入選は、

なかなか難しいのですが、


 能登のおじさんは、

小学校の先生をしながら、

この日展に、

何度も、

入選しました。


 たびたびの、

日展入選の実力を、

認められ、


今度は、

能登のおじさんは、 

入選作品を選ぶ立場、

日展審査員になりました。 


一般的に、

芸術に関わる人たちは、

世間から、

自分の実力を認められると、

 独り立ちしたがるものです。


 自分の時間を、

すべて、

創作活動に、

充(あ)てたいからです。


 しかし、

能登のおじさんは、

そうしませんでした。

  

岡山の公立学校の、

美術の先生を、

続けながら、

創作活動を、

続けたのです。


 能登のおじさんの、

画題は、

岡山の穏やかな風景、

愛妻の文子さん、

 自分の子供たちなど、

おじさんの周りを、

彩る日常です。 


その絵のタッチは、

点描画と呼ばれる、

印象派の手法です。  


戦争を兵士として経験し、

終戦後、

焼け野原の日本を見てきた、

 おじさんだからこそ、

無邪気に遊ぶ子供たちや、

 女らしいワンピ―ス姿の妻は、


かけがえのない、

 素晴らしいものとして、

キャンバスに、

残しておきたかったでしょう。


 毎日の学校から帰宅し、

夕飯を済ませると、

おじさんは、

絵筆を握り、 

創作活動に入りました。


 川の水が、

流れるがごとく、

絶え間なく、

創作活動した結果、


おじさんの絵は、

 膨大な数に、

なりました。 


その絵たちは、

岡山の新見美術館など、 

公共の施設に、

たくさん寄贈されました。


 また、おじさんは、

休日の午前中は、

自宅を解放し、 

子供たちに、

絵を教えていました。  


おじさんの絵画教室は、

本格的なものでした。  


まるで、

大学の絵画教室のように、

北向きで、

 天井まである高い窓、

寒い冬でも手が、

凍えないように、

 煙突のある、

大きな石炭ストーブ、

たくさんの子供たちが、 

筆やパレットを洗うのに、

困らないよう、

広く長い水道場。


 日曜日、

能登のおじさんの、

絵画教室には、

たくさんの子供たちが、

 やって来て、

絵を描く、

喜びを知りました。


 石井さんも、

その中のひとりです。


 能登のおじさんの絵画教室で、

絵を描く楽しさ、

大勢で、

 創作活動する喜びを、

知った石井さんは、

自分でも、

意識しないうちに、 

飛行機をつくるための、

基礎ができました。


 なぜなら、

パフィン号のように、

未知の飛行機づくりには、

デッサン力と、 

大勢の人と、

創作活動を楽しめる、

朗らかな心が、

とても大切だからです。


 2017年1月12日    


パフィン物語

超軽量飛行機ウルトラ・ライト「パフィン号」が、空を飛ぶまでの、実在のお話です。

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