パフィン物語 No.3 嘉香(よしか)ママと少年時代


 岡山県は、全国で、

もっとも雨が、

少ない県です。


一年365日のうち、

270日以上は、

晴れの日です。


雨は少ないですが、

真夏でも、

水不足にはなりません。


大きな河川が、

3本も、流れているので、

田んぼは、いつも、

青々とし、

秋には必ず、

美味しいお米が、

豊作です。




  その名が、示すように、

岡山県では、

県の東西南北、

どちらへ向いても、

緑豊かな、山々に囲まれ、

自然のゆりかごの中に、

包まれ、

安心して、暮らせます。



そんな、岡山県の中でも、

特に、穏やかな地域が、

あります。


備中(びっちゅう)と、

呼ばれる地域です。



備中(びっちゅう)は、

白桃と、

ピオーネと呼ばれる、

大粒のブドウの、

名産地です。


白桃もピオーネも、

とてもデリケートな、

果物で、

安定した日照時間と、

強風が少ないことが、

必須です。

備中(びっちゅう)は、

どちらの条件も満たし、

毎年、

宝石のような白桃や、

ピオーネが収穫されます。




パフィン号を作った、

石井さんのお母さん、

嘉香(よしか)さんは、

その備中(びっちゅう)

出身です。

穏やかな、

備中(びっちゅう)の、

気候のように、

嘉香(よしか)さんは、

春の陽だまりのような、

人です。


嘉香(よしか)さんは、

第二次世界大戦時、

女学校の学生でした。

終戦後は、

地元の小学校の、

先生を頼まれました。



(岡山空襲の後の岡山市)


嘉香(よしか)さんの、

お父さんは、

村人の信頼厚い、

責任感の強い、

村長さんでした。



第二次世界大戦前後、

戦争のために、

学校が滞り、

子供たちの勉強が、

ないがしろに、

なっていました。

村長のお父さんは、

子供たちの未来を案じて、
自宅を開放し、

子供たちの先生役が、

嘉香(よしか)さんだったのです。



嘉香さんの家には、

子供たちが、

いつも大勢集まって、

寺子屋のようでした。



そんな嘉香さんに、

白羽の矢がたち、

終戦後、

小学校の先生を、

頼まれたのです。


嘉香先生は、

子供たちの人気者でした。


穏やかで、

声を荒げることもなく、
わかりやすい、

嘉香先生の授業に、
子供たちは、

大喜びでした。


嘉香さんが、

先生をしたのは、

たった、2年間だけです。


けれど当時の子供たちは、

嘉香先生のことが、

忘れられず、
60年以上も、

月日が流れた同窓会に、

嘉香(よしか)先生を、

招待しました。


先日、これらのお話を、

嘉香(よしか)さん、

本人から、

直接うかがいました。


ご高齢であること、

体調が優れないことなど、

微塵も感じさせず、


まるで、

昨日のことのように、

当時のことを、

お話くださり、


穏やかで、

魅力的な語り口に、

私も、すっかり、

嘉香(よしか)先生の、

ファンになってしまいました。


嘉香(よしか)さんが、

たった2年間で、

先生を辞めたのは、

結婚のためです。


あまりにも、

先生に、はまり役の、

我が娘を心配した、

お父さんが、

縁談を、

持ってきたのです。


お父さんが、

選んだ相手は、

裸一貫から、

鉄工所をたちあげた、

バイタリティー溢れる、

石井さんのお父さん、

澄夫(すみお)さんです。



澄夫(すみお)さんと、

嘉香(よしか)さんの、

間に生まれたのが、

石井さんです。


母になった嘉香さんの、

教育方法は、
先生時代と、

変わりませんでした。



嘉香(よしか)ママの、

穏やかで、

春の陽だまりのような、

愛情は、

幼い石井さんの好奇心を,

どこまでも、

伸ばしました。



少年時代、石井さんが、

特に、熱中したのは、

小鳥の飼育です。

つがいで、小鳥を飼うと、

卵が産まれ、

ひなが孵(かえ)ります。


どんどん増える、

小鳥たちのため、

嘉香(よしか)ママは、

石井さんのために、
庭に大きな、

特注の鳥小屋を、

作ってもらいました。



誕生から、死まで、

鳥の生態をつぶさに、

観察できたことは、
その後の、

石井さんの飛行機作りの、

土台となったのです。


その後も、

嘉香(よしか)ママに、

見守られ、

石井さんは、

興味をもったことは、
どこまでも、

追求していく、

楽しさを学びました。



ものづくりにとって、

とても大切なことは、

どこまでも、

追求する心です。



何か、新しいものを、

この世に、

送り出すとき、

大勢のひとが、
納得するもの、

でなければいけません。



飛んで楽しむ飛行機、

なんて、

いくら面白い、

アイデアでも、

それを形にして、

製品化するには、


世の中の人が、

納得する形まで、

どこまでも、追求し、

超えなければならない、

ハードルが、

たくさんあります。


どんなに、

高いハードルも、

楽しいと、

思える人になり、
パフィン号を製品化した、

石井さんの土台は、
嘉香ママと過ごした、

少年時代なのです。



2016年12月29日


パフィン物語

超軽量飛行機ウルトラ・ライト「パフィン号」が、空を飛ぶまでの、実在のお話です。

0コメント

  • 1000 / 1000