パフィン物語 No.2  石井さんのお父さんの龍の橋


飛ぶことを楽しむ飛行機、


パフィン号を、


作った石井さん。



パフィン号は、


すべて、


石井さんの、


オリジナルです。




まるで、


オーダーメイドで、


洋服を作るように。



注文住宅を、


建てるように。



パフィン号は、


石井さんが、


すべて、


図面をひき、


設計したのです。




そんな、


石井さんのお父さんも、


やはり、


オーダーメイドが、


得意な、


金属加工の、


職人さんでした。



石井さんのお父さんが、


高校生の頃、


日本は、


大きな戦争を、


していました。



植民地争いに、


出遅れた、


イタリア、ドイツ、日本の、


三国が、


同盟を結び、


世界を相手に、


戦争をしたのです。




第二次世界大戦です。



この戦争中、


日本が、


負けを認めるまで、


日本国内の、


たくさんの町や工場が、


攻撃され、


爆弾を、


落とされました。



岡山の南部には、


飛行機を作る、


三菱の工場、


水島航空機製作所が、


ありました。




水島航空機製作所では、


一式陸攻(いっしきりっこう)と、


紫電(しでん)を、


作っていました。




一式陸攻(いっしきりっこう)は、


宮崎駿監督の


「風立ちぬ」に登場する、


本庄季郎が、


設計した、


飛行機です。


石井さんのお父さんは、


この水島航空機製作所で、


飛行機を、


作っていました。




この水島航空機製作所にも、


爆弾が、


落とされたのです。




110機のB29が、


1時間に、603トンも、


爆弾を落し、工場は、


滅茶苦茶に、


壊されました。



1945年6月22日、


日曜日の朝でした。


のちに、


水島空襲、


と呼ばれました。




それから、


約2ヶ月後、


1945年8月15日、


戦争が終わりました。




戦争が終わり、


平和が訪れましたが、


石井さんのお父さんが、


働くところは、


なくなりました。



敗戦国、


日本は、


飛行機を作ることを、


禁止されてしまったからです。




石井さんのお父さんが、


働いていた、


三菱の、


水島航空機製作所も、


例外ではありません。




金属加工の、


素晴らしい腕をもつ、


石井さんのお父さんの、


技術を生かせる場所は、


どこにもありませんでした。



岡山の北、


成羽(なりわ)一帯では、


奈良の時代から、


銅や石炭が、


採れました。




奈良の大仏の、


材料の銅も、


成羽(なりわ)の銅が、


使われました。




終戦直後、


成羽(なりわ)は、


炭鉱が、


盛んでした。




当時は、


エネルギーに、


石油ではなく、


石炭を、


使っていたのです。




石炭は、


山の斜面から、


採掘場まで、


細長い、


トンネルをつけて、


掘り出されます。




石炭堀り用の、


ちょっと短い、


ツルハシで、


人の手で、


掘っていくのです。




石炭堀りは、


たくさんの人で、


交代しながら、


昼夜、


作業を進めました。



成羽の炭鉱は、


日の丸炭鉱


という会社が、


行っていました。




日の丸炭鉱のおかげで、


成羽の町には、


いろいろな施設があり、


たくさんの人の、


働く場所が、


ありました。




映画館、


大衆浴場などの、


娯楽施設。



職人さんたちの、


胃袋を支える食堂。



日の丸炭鉱の、


事務所も、


採掘場近くに、


ありました。




働き口が、


見つからない、


石井さんのお父さんは、


日の丸炭鉱の事務所で、


働くことにしました。




しかし、


石井さんのお父さんの心は、


晴れませんでした。



日の丸炭鉱で、


働いていたら、


せっかくの、


金属加工の技術が、


生かせないからです。




意を決して、


石井さんのお父さんは、 


日の丸炭鉱をやめ、


倉敷市の実家の、


玄関先で、


一畳半の、


小さな鉄工所を、


ひらきました。




(石井さんのお父さんの自画像)






(倉敷市の石井さんのお父さんの実家)



たくましい創造力と、


金属を、


粘土のように、


自在に、


扱う技術をもった、


石井さんのお父さんの、


小さな鉄工所は、


倉敷の人たちから、


愛され、


成長していきました。




石井さんのお父さんの、


お客様は、


いろいろな注文をします。




ある日、


倉敷市役所の人が、


楽しいけれど、


難しい仕事を、


もってきました。



橋の欄干を、


龍の形にしてほしい、


というのです。




見せられた、


紙切れには、


口に巻紙をくわえた、


龍の絵が、


おおざっぱに、


描かれていました。



石井さんのお父さんは、


持ち前のひらめきと、


金属加工の、


素晴らしい技術で、


素敵な、


二体の、


龍の欄干を、


作りました。



(石井さんのお父さんが作った龍の橋「前神橋」)


この龍の橋、


「前神橋」は、


今も、


倉敷市美観地区の、


入り口で、


健在です。


(前神橋の記念石碑)



1954年のことです。


そして、


1954年は、


石井さんが、


生まれた年なのです。

2016年12月9日


(石井さんのお父さんの鉄工所・昭和60年頃)

パフィン物語

超軽量飛行機ウルトラ・ライト「パフィン号」が、空を飛ぶまでの、実在のお話です。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • 20150129kan

    2016.12.30 13:48

    @かずぼうコメントありがとうございます。主婦目線で、飛行機づくりに、関わった人たちを、紐解いていきたいと、思います。よろしくお願いします。
  • かずぼう

    2016.12.30 06:09

    とても心和むブログですね。じっくり拝見させて下さい。 舞台が地元というのも親近感があります。