パフィン物語 No.9 ~環境と才能~


「きょうの料理」はNHKの人気番組です。


昭和32年に放送が始まり、60年以上続いている、人気長寿番組です。


日本全国、どの地域でも手に入る材料で、家庭にある身近な道具で、美味しい料理を、たのしく、わかりやすく、見せてくれ、主婦にとってはとてもありがたい番組です。


この「きょうの料理」に、第一回目から32年以上講師として出演してきた料理人に、

土井勝がいます。


土井勝は、番組内で、日本の素朴な家庭料理を、「おふくろの味」と呼び、そのレシピを追求し続けた人です。


土井勝は、大正10年、香川県に生まれました。


早くに父を亡くした土井勝は、気丈な母によって女手一つで育てられました。


土井勝の母は、失った大黒柱の代わりに、一家を行商で支えました。


しかし、彼の母は、料理には決して手を抜かず、いつも手作りの美味しいものを、自分の子供たちにお腹いっぱい食べさせました。


手摘みのよもぎの草もちや、手打ちうどん、など愛情と栄養がたくさん詰まった料理で、土井勝の母は、子供たちを育てたのです。


土井勝は、この自分の母の「おふくろの味」を原点として、戦後、高度経済成長期に入り、慌ただしい日々を送るようになった日本人の食生活が、うるおいを失わないよう、家庭料理の普及に尽力しました。


即席で食せるインスタント食品が、次々と開発され、家庭で作るのが当たり前のお惣菜が売り買いされ、核家族化が進んだ日本では、新米主婦を指導してくれる、お姑の存在も影を薄めました。


家庭の中で、食生活がおろそかになれば、一番影響を受けるのは、子供たちです。


日本人の変化しつつある食生活を危惧し、次世代の子供たちが、貧しい食生活にならないよう土井勝は、「おふくろの味」の作りやすいレシピを研究し、「きょうの料理」に反映させていきました。



 日本の航空界にも、土井勝と同じように、航空産業に関わる次世代の子供たちのために、尽力した人物がいます。


No.7でご紹介した日大の木村秀政教授です。


木村教授は、多くの飛行機に関する著書を残されています。


一般的に難解とされる飛行機の理論も、木村教授の著書では、わかりやすい表現で書かれています。


特に、「模型飛行機 理論と実際」は、初版から13回も版を重ねる名著です。


模型飛行機好きの子供たちに正しい航空力学を学んでもらいたいという願いが詰まった一冊です。


木村教授は昭和45年にこの「模型飛行機 理論と実際」を書き、日大で飛行機好きの若者たちが、心ゆくまで、飛行機を作れる環境を整え、次世代の芽が吹くのを待ちました。



一口に飛行機好きの若者と表現しても、その中身は千差万別です。


飛行機の歴史に精通するのが好きな若者、飛行機の操縦に興味がある若者、皆それぞれ飛行機に対する愛情が違っていました。


しかし、日大で、木村教授が心待ちにしていたのは、自らの手でゼロから飛行機を作ることを愛する若者たちでした。


もちろん、日大に入学し、学生専用の滑走路や、格納庫、など素晴らしい環境に触発され、

刺激を受け、飛行機作りに、目覚める若者は大勢いました。


けれど、大学生になって、はじめて工作に挑戦するのでは、なかなか飛行機の実機を完成させるところまではいきません。


戦前からの公教育で行われていた模型飛行機教育の成果で、当たり前だった手先の器用な

少年たちは、GHQで数年間禁止されている間に、絶滅危惧種となっていたのです。


はさみもカッターナイフも自分の思うように使えない若者が増える一方で、ついに木村教授が待っていた学生が現れました。



木村教授が日大で教鞭を取るようになってから25年目の春、教授が68歳の時です。


のちの、超軽量飛行機パフィン号の設計者 石井潤治です。


石井潤治が日大に入学したのは、激しかった学生運動がようやく鎮火した1972年のことです。


日大の航空科では、4年生の時に卒業研究として人力飛行機に取り組みます。


しかし、飛行機作りの楽園に解き放たれた石井潤治は4年生になるまで、実機製作を待つことなどできません。


一年生からすぐに飛行機を設計しはじめ、形にし、その才能を証明していきました。


ハンググライダーの「ホビー号」複葉機の「フライヤー号」など、後の石井潤治の飛行機の特徴である軽くて良く飛ぶ飛行機たちです。


中学生の頃から紙の模型飛行機で遊びながら身につけていった工作技術と、それと同時に

読み漁った航空理論で培った才能が、まさに、木村教授の眼前で開花し始めたのです。


つづく


2017年6月2日

パフィン物語

超軽量飛行機ウルトラ・ライト「パフィン号」が、空を飛ぶまでの、実在のお話です。

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